2012年09月25日
2010.10.16 安達太良山
2010年10月16日(土)安達太良山
安達太良山は、福島県二本松市に接する活火山で、日本百名山の一つ。
私達が山を始めるきっかけとなった山。
私達はまだキャンプを始めたばかり。買い揃えたばかりのキャンプ道具をウィッシュに積み込み、福島県の二本松市に向かった。
ここには安達太良山という山があり、その麓にある『フォレストパークあだたら』というキャンプ場が良いらしい、という予備知識だけ。
時間があれば、安達太良山の紅葉が綺麗らしいから、車で行ってみようか、という話になっていた。
寝坊もせずに、朝8時前には二本松市に到着。キャンプ場の受付にはまだ早いので、安達太良山に行ってみることにした。
安達太良山にはゴンドラリフトがあり、だれでも簡単に中腹まで登れる。
ゴンドラの始発は午前8時30分。
私達は9時頃に到着したが、すでに駐車場はかなり混んでいて、ゴンドラ乗り場も長蛇の列になっていた。
並ぶことが大嫌いな私は、あまり乗り気ではなかった。妻が、どうしても紅葉が見たい!と言わなければ、私達は諦めて帰っていただろう。
しぶしぶ長い列に並ぶ。雲が出てきていた。天気予報は晴れだったのに、、などと思っていると、後ろのおじさんも「せっかく遠くから来たのにこんな天気じゃ残念だよなー」とポツリ。
そこから話が始まり、どっから来たの?とか、安達太良山は紅葉がきれいで、、とか、こっちも暇なので、どちらから?とかどちらまで?とか。
おじさんは埼玉県の所沢から来て、安達太良山の山頂まで登って、たしか、くろがね小屋を通るルートを歩いて下山するって言ってた気がする。
へぇー凄いですねーなんて話をしていたら、
「君達も山頂まで行ってみなよ!君達の足ならゴンドラの駅から一時間も登れば山頂に着いちゃうから。」
と誘われて。信じて登っちゃったのが人生の転機だったわけだ。
実際はかなり混み合ってたし、スニーカーにジーパンで登ってた私達はヘロヘロになりながら2時間位かけて登った。
途中濃霧に巻き込まれ、小雨が降り、雨具も持たない私達は寒かった。風も強くなり、水も無かったので喉が渇き、途中まであった木道は途切れ、岩だらけの泥道を進んでいた私はただひたすら、おじさんへの呪いの言葉を呟いていた気がする。あのオヤジ、騙しやがって!
もう下ろう!俺たちには無理だ!と私は主張したのだが、妻はなにかに取り憑かれたように登っていった。今思えば、妻はその時すでに、なにか運命的なものを感じていたのかも知れない。

泥道になってしばらく経って、やっと妻がとまってくれて、一休み。
周りを見渡すと、強風のおかげで少しはれた濃霧の間に、ハッとするほど美しい紅葉が見えた。上の方にはおそらく、安達太良山の山頂らしきいただきも見えた。この瞬間、私はそれこそ身体に電流が流れるような激しい感動を覚えたんだ。

しばらく景色をながめ、回りに目をやると、おじさんおばさんたちが岩影に身を隠し、へんなガスコンロを使って湯を沸かし、うまそうにコーヒーを飲んだり、ラーメンを食べたりしていた。風を避けて昼食を食べていたのだ。
妻とそれを眺めながら、私達は同じことを考えていた。
「山っていいな。とりあえずあのガスコンロほしい」
しばらく登ると、やっと山頂直下の広場に到着。安達太良山山頂とかかれた看板の前で記念撮影。
山頂へはその広場からすぐだったが、鎖場だったので私が怖気づき、登ろうとする妻をなんとか引き留めて下山することにした。
私の意気地の無さに妻は憤慨したが、あの判断はいまでも正しかったと、私は思っている。きっと妻は今でも私を怒っているだろうが、あそこから先は、登山者しか登ってはいけない領域だった。
ここで同調し妻に怪我でもさせたら、妻の両親に申し訳が立たない。そんなことを思っていた。
山頂に登る登らないの諍いで、私は一言も口をきかず、妻とは違うルートで勝手に下り始めた。今思えば本当に勝手で、山では一番やってはいけない行動だが、あの時はそんなこと全く考えず。
しばらく経っても妻と出会えなかったので、不安になった私は山頂直下の広場に戻った。妻はそこで私をずっと待っていたらしく、しこたま怒られた。反省。
私が悪かった。
なんとか仲直りして、一緒に下る。
登りと違い、なんと楽なことか。
下りも混み合ってはいたが、一時間ほどでゴンドラの駅に到着。



登りの時には濃霧で見えなかったが、ゴンドラ駅からすぐの展望台から、まるで振り袖に描かれた絵のように、山頂から麓まで続く赤や黄の紅葉が一望できた。
私はこの安達太良山の紅葉を見るまでは、あまり紅葉に興味がなかった。この点でも安達太良山は、私に深い痕跡を残してくれた。
ゴンドラで10分。無事下山。
もう一時半になっていた。喉がからからだったので急いで車にもどり、ジュースを飲む。そしてお腹がペコペコだったので、国道沿いの釜飯屋で昼食。うまかった。
もう2時半。急いでスーパーで買い物!と思ったが、なかなかスーパーが見つからない。とりあえずキャンプの受付だけでも済まそうと、キャンプ場へ向かったんだと思う。記憶が定かでない。で、確か結局スーパーには行かず、受付わきで販売していた野菜などを買って、有りもので済ませた気がする。

時期が時期なのでほとんど宿泊者は無し、どのサイトも自由に選べたが、人見知りの私達は土手で仕切られた個別サイトを選んだ。

買ったばかりの焚き火台や、まだ慣れない手つきでテントを設営。設営し終わった時にはもう暗くなっていた。
このサイトには木のテーブルがあったので、持参のテーブルは出さずに、そこで食事にすることにした。

買ったばかりのコールマンの電池式ランタンを初めて点灯。けっこう明るいランタンに、二人だけでお互いに自慢げな表情を浮かべて。
ご飯は何を食べたのか。温かい鍋を食べたような気もする。焚き火台で焼き芋を焼いた気もする。一つだけ鮮明に憶えているのは、栗だ。私は反対したのだが、妻はどうしても焼栗が食べたいということで。
生の栗を火にかけると、爆発する。私はどこかでこのことを知っていて、止めたのだが、妻は厚手のアルミ箔に何重にも栗を包み、焚き火に投入。しばらく何事もないので、またもや私の意気地の無さをけなそうとした?ところで、パン!パン!というもの凄い破裂音とともに栗が四方に飛び跳ねた。

慌てて枯れ枝を拾い、火の中から栗をほじくり出す妻の顔といったら!妻は普段から表情は豊かな方だが、この時の表情は、できればたくさん写真を残したかった。まあ、私は破裂音に腰を抜かしていたので大きなことは言えないが。
どうにかこうにか食事が終わり、受付棟に併設の温泉へ。確か循環式だったとは思うが、肌はつるつる。風呂から出てもいつまでもポカポカ。露天風呂は木々の間を吹く風に撫でられ、心地良かった。

サイトに戻り、またしばらく焚き火を楽しみ、就寝。

朝。

しばらく場内を散歩した後、再び風呂に入り、朝ごはんを食べて、帰路へ。
途中猪苗代湖畔を走り、会津に寄って、確か、城を見たような、修理中で見られなかったような。城のわきにある蕎麦屋で、昼に蕎麦を食べた気がする。
帰りは渋滞に巻き込まれ、5時間くらいかけてようやく帰宅。
安達太良山は、私達に多くの痕跡を残した。たくさんの偶然が重なって、私達は山の世界と出会った。こんなにも素晴らしい世界を教えてくれた安達太良山と、おじさんに、心から感謝している。
震災に起因する原発事故で、二本松市は甚大な被害を受けた。今も安達太良山やフォレストパークあだたらでは、放射線量は高めだ。いつかまたたくさんの子供達が安心して遊ぶキャンプ場に戻ってほしい。フォレストパークあだたらのHPには、場内の放射線量の記録が丁寧に記載されている。今年の秋にはもう一度訪れてみようと思っている。
安達太良山は、福島県二本松市に接する活火山で、日本百名山の一つ。
私達が山を始めるきっかけとなった山。
私達はまだキャンプを始めたばかり。買い揃えたばかりのキャンプ道具をウィッシュに積み込み、福島県の二本松市に向かった。
ここには安達太良山という山があり、その麓にある『フォレストパークあだたら』というキャンプ場が良いらしい、という予備知識だけ。
時間があれば、安達太良山の紅葉が綺麗らしいから、車で行ってみようか、という話になっていた。
寝坊もせずに、朝8時前には二本松市に到着。キャンプ場の受付にはまだ早いので、安達太良山に行ってみることにした。
安達太良山にはゴンドラリフトがあり、だれでも簡単に中腹まで登れる。
ゴンドラの始発は午前8時30分。
私達は9時頃に到着したが、すでに駐車場はかなり混んでいて、ゴンドラ乗り場も長蛇の列になっていた。
並ぶことが大嫌いな私は、あまり乗り気ではなかった。妻が、どうしても紅葉が見たい!と言わなければ、私達は諦めて帰っていただろう。
しぶしぶ長い列に並ぶ。雲が出てきていた。天気予報は晴れだったのに、、などと思っていると、後ろのおじさんも「せっかく遠くから来たのにこんな天気じゃ残念だよなー」とポツリ。
そこから話が始まり、どっから来たの?とか、安達太良山は紅葉がきれいで、、とか、こっちも暇なので、どちらから?とかどちらまで?とか。
おじさんは埼玉県の所沢から来て、安達太良山の山頂まで登って、たしか、くろがね小屋を通るルートを歩いて下山するって言ってた気がする。
へぇー凄いですねーなんて話をしていたら、
「君達も山頂まで行ってみなよ!君達の足ならゴンドラの駅から一時間も登れば山頂に着いちゃうから。」
と誘われて。信じて登っちゃったのが人生の転機だったわけだ。
実際はかなり混み合ってたし、スニーカーにジーパンで登ってた私達はヘロヘロになりながら2時間位かけて登った。
途中濃霧に巻き込まれ、小雨が降り、雨具も持たない私達は寒かった。風も強くなり、水も無かったので喉が渇き、途中まであった木道は途切れ、岩だらけの泥道を進んでいた私はただひたすら、おじさんへの呪いの言葉を呟いていた気がする。あのオヤジ、騙しやがって!
もう下ろう!俺たちには無理だ!と私は主張したのだが、妻はなにかに取り憑かれたように登っていった。今思えば、妻はその時すでに、なにか運命的なものを感じていたのかも知れない。

泥道になってしばらく経って、やっと妻がとまってくれて、一休み。
周りを見渡すと、強風のおかげで少しはれた濃霧の間に、ハッとするほど美しい紅葉が見えた。上の方にはおそらく、安達太良山の山頂らしきいただきも見えた。この瞬間、私はそれこそ身体に電流が流れるような激しい感動を覚えたんだ。

しばらく景色をながめ、回りに目をやると、おじさんおばさんたちが岩影に身を隠し、へんなガスコンロを使って湯を沸かし、うまそうにコーヒーを飲んだり、ラーメンを食べたりしていた。風を避けて昼食を食べていたのだ。
妻とそれを眺めながら、私達は同じことを考えていた。
「山っていいな。とりあえずあのガスコンロほしい」
しばらく登ると、やっと山頂直下の広場に到着。安達太良山山頂とかかれた看板の前で記念撮影。
山頂へはその広場からすぐだったが、鎖場だったので私が怖気づき、登ろうとする妻をなんとか引き留めて下山することにした。
私の意気地の無さに妻は憤慨したが、あの判断はいまでも正しかったと、私は思っている。きっと妻は今でも私を怒っているだろうが、あそこから先は、登山者しか登ってはいけない領域だった。
ここで同調し妻に怪我でもさせたら、妻の両親に申し訳が立たない。そんなことを思っていた。
山頂に登る登らないの諍いで、私は一言も口をきかず、妻とは違うルートで勝手に下り始めた。今思えば本当に勝手で、山では一番やってはいけない行動だが、あの時はそんなこと全く考えず。
しばらく経っても妻と出会えなかったので、不安になった私は山頂直下の広場に戻った。妻はそこで私をずっと待っていたらしく、しこたま怒られた。反省。
私が悪かった。
なんとか仲直りして、一緒に下る。
登りと違い、なんと楽なことか。
下りも混み合ってはいたが、一時間ほどでゴンドラの駅に到着。



登りの時には濃霧で見えなかったが、ゴンドラ駅からすぐの展望台から、まるで振り袖に描かれた絵のように、山頂から麓まで続く赤や黄の紅葉が一望できた。
私はこの安達太良山の紅葉を見るまでは、あまり紅葉に興味がなかった。この点でも安達太良山は、私に深い痕跡を残してくれた。
ゴンドラで10分。無事下山。
もう一時半になっていた。喉がからからだったので急いで車にもどり、ジュースを飲む。そしてお腹がペコペコだったので、国道沿いの釜飯屋で昼食。うまかった。
もう2時半。急いでスーパーで買い物!と思ったが、なかなかスーパーが見つからない。とりあえずキャンプの受付だけでも済まそうと、キャンプ場へ向かったんだと思う。記憶が定かでない。で、確か結局スーパーには行かず、受付わきで販売していた野菜などを買って、有りもので済ませた気がする。

時期が時期なのでほとんど宿泊者は無し、どのサイトも自由に選べたが、人見知りの私達は土手で仕切られた個別サイトを選んだ。

買ったばかりの焚き火台や、まだ慣れない手つきでテントを設営。設営し終わった時にはもう暗くなっていた。
このサイトには木のテーブルがあったので、持参のテーブルは出さずに、そこで食事にすることにした。

買ったばかりのコールマンの電池式ランタンを初めて点灯。けっこう明るいランタンに、二人だけでお互いに自慢げな表情を浮かべて。
ご飯は何を食べたのか。温かい鍋を食べたような気もする。焚き火台で焼き芋を焼いた気もする。一つだけ鮮明に憶えているのは、栗だ。私は反対したのだが、妻はどうしても焼栗が食べたいということで。
生の栗を火にかけると、爆発する。私はどこかでこのことを知っていて、止めたのだが、妻は厚手のアルミ箔に何重にも栗を包み、焚き火に投入。しばらく何事もないので、またもや私の意気地の無さをけなそうとした?ところで、パン!パン!というもの凄い破裂音とともに栗が四方に飛び跳ねた。

慌てて枯れ枝を拾い、火の中から栗をほじくり出す妻の顔といったら!妻は普段から表情は豊かな方だが、この時の表情は、できればたくさん写真を残したかった。まあ、私は破裂音に腰を抜かしていたので大きなことは言えないが。
どうにかこうにか食事が終わり、受付棟に併設の温泉へ。確か循環式だったとは思うが、肌はつるつる。風呂から出てもいつまでもポカポカ。露天風呂は木々の間を吹く風に撫でられ、心地良かった。

サイトに戻り、またしばらく焚き火を楽しみ、就寝。

朝。

しばらく場内を散歩した後、再び風呂に入り、朝ごはんを食べて、帰路へ。
途中猪苗代湖畔を走り、会津に寄って、確か、城を見たような、修理中で見られなかったような。城のわきにある蕎麦屋で、昼に蕎麦を食べた気がする。
帰りは渋滞に巻き込まれ、5時間くらいかけてようやく帰宅。
安達太良山は、私達に多くの痕跡を残した。たくさんの偶然が重なって、私達は山の世界と出会った。こんなにも素晴らしい世界を教えてくれた安達太良山と、おじさんに、心から感謝している。
震災に起因する原発事故で、二本松市は甚大な被害を受けた。今も安達太良山やフォレストパークあだたらでは、放射線量は高めだ。いつかまたたくさんの子供達が安心して遊ぶキャンプ場に戻ってほしい。フォレストパークあだたらのHPには、場内の放射線量の記録が丁寧に記載されている。今年の秋にはもう一度訪れてみようと思っている。
Posted by soranotakamihe at 00:26│Comments(0)
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