2013年4月27-28日 上高地〜横尾
今回は上高地開山祭の参加、そして夏に義父を涸沢に連れて行く予行演習を目的として、妻と、義父と共に上高地に向かった。
上高地から涸沢までは通常6時間程度の道程だが、義父の体調を考えると、途中横尾で一泊、二日目に涸沢で一泊、三日目にまた横尾で一泊して帰ることになるだろうから、今回は徳澤で一泊して二日目に横尾まで行き、もし余裕があればその先少し進んで屏風岩でも見られたら、、程度に考えていた。
午前0時に出発。八王子ICから中央道。長野自動車道に入り、松本ICでおりる。
松本ICからは50分ほどで沢渡第二駐車場へ。松本におりて程なくして雪が降り始めたのでゆっくり走った。
午前4時。沢渡第二に着くと、バス停が見当たらない。どこを探しても、去年までそこにあったはずのバス停がない!あららーと思ったが、朝になってからでいいかーと思い、車内で仮眠。
8時、今回はいそがないのでゆっくりと準備を終え、バス停に向かう。以前バス停があった場所には降車場所だけ残り、乗車場所は少し登ったところに移動して、超現代化していて驚いた。世界に誇る観光地の入口に相応しくなった。
以前のバス停は一応屋根はついているが掘っ建て小屋のような券売所と飲料メーカー提供の長ベンチのみ。去年の写真。
バスは20分感覚でピストン。人もそれほど多くなかったし、登山客が少ないので荷物も荷室に入れてもらえた。
私の隣に座ったおじさんが話しかけてきた。おじさんは若い頃は埼玉県の草加市に住んでいて、引退してから松本に移住。気が向くと上高地に来るのだという。若い頃から日本山岳会に所属する山好きらしい。理想のパターンだ。
おじさんは、「開山祭の時期にこれほど大雪になるのは初めてだから、貴重な体験だ」と、私を励ましてくれた。
おじさんには冬季の上高地の話など聞き楽しかった。おじさんは大正池から一時間歩いて上高地に行くということで、先に降りていった。
上高地に着くと、雪は更に激しくなり、また風もごうごうと吹き始め、吹雪になった。
上高地のビジターセンターで開山祭を待っていると、吹雪のため、開山祭の場所をバスターミナルで11時からに変更するとアナウンスがあった。いつもは河童橋で行われる。
11時開祭。アルプホルンの演奏に続き、穂高神社の宮司さんが祝詞を捧げる。宮司さんにも容赦なく吹雪が吹き付け、榊が倒れたり、屋根雪の落下で悲鳴があがったり沢山のハプニングがあったが、なんとか進行。
アルプホルン演奏者の方と一枚。
一人2500円の食券付き袋を買う。肉まんと焼き鳥、焼きそばの食券と、45回上高地開山祭と焼印の押された枡、開山祭のピンバッジが入っていた。
食べ物の屋台には大行列。ちょー疲れた。
でも振る舞い酒は美味しかった!
樽酒を枡で飲むから、木の香りが爽やかだった。普段日本酒を飲まない私も二杯飲んだ。振る舞い酒は有る限り飲み放題で、大きな樽が何個も並び、みんなで飲んでも飲んでも無くならなかった。
土地の小学生の和太鼓の演奏など聞きながら、酒を飲む。
13時30分、ヘベレケになりながら徳澤園を目指して出発。今日宿泊予定の徳澤園に、到着が16時を過ぎる旨、連絡。
大雪により、横尾から先は入山規制に。この時期の降雪は表層雪崩を起こし易い。規制になったというのに何故か嬉しそうな二人。酒のせいか。
ダウンにレインウェアを着込んでも吹き付ける雪が寒い。
河童橋。晴れていれば奥穂が綺麗に見えるのだが、全く見えない。
14時30分、明神着。ここでアイゼン装着。やはり明神岳は見えない。
第一サル発見。
と思ったら至る所にサルサルサル。
ちょっとガスが晴れてきた!
二匹並んで雪を食べてる。今は可愛らしいが、これ以上人に慣れると突如凶暴化するらしいから、距離を保って望遠レンズで。
16時25分、無事徳澤園着。玄関にて記念撮影。初徳澤園、初小屋泊。風呂がある山小屋。というかほぼ旅館。
幕営組みも多数。
夕食は17時30分と19時と二回。風呂は20時まで。私達は19時から夕食なので先に風呂に入った。風呂は循環式だが、そもそも徳澤に来て風呂に入れるのが有難い。湯温も高めで、冷えた体にはちょうどいい。
夕食まで時間があるので、館内を探検。趣がある。井上靖の氷壁に、徳澤小屋として登場する宿だ。
ペチカの燃える談話室でくつろぐ。
食堂前には本日の献立表。私達は相部屋なので下の方。
19時、夕食。お米食べ放題。4杯食べた。
部屋のスタイルとしては相部屋だが、三人で予約したら、三人分でカプセルになった所を用意してくれた。嬉しい。
徳澤園には個室と相部屋があり、個室は17室、相部屋は3室。相部屋はパターンがあり、雑魚寝の部屋や、今回私達があてがわれた二段のカプセル風の部屋など。パターンの指定はできない。
カプセルの天井は低く、剥き出しの梁になんども頭をぶつけたが、秘密基地みたいで楽しかった。
またカーテンでプライバシー空間が確保でき、相部屋とは思えない快適な時間を過ごせた。ただし綿の布団は冷たく、しばらく寒かった。21時消灯だが、疲れていたため消灯を待たずして就寝。山小屋はイビキで寝れないとどこかのHPで見ていたので耳栓を持参していた。確かに四方からイビキが聞こえて来たが、疲れているので気にする暇もなく寝てしまった。
翌朝6時20分、起床。
昨日の吹雪が嘘のような快晴。
大学時代のサークルの後輩から、朝に徳澤園に寄ると連絡があったが、電波がどうしても入らないため、しばらく外でタバコを吸いながら待ってみる。
彼は高校大学と男性合唱に打ち込み、どちらかというとナヨナヨして頼りない雰囲気の男だったのだが(ゴメンね)、いつの間に山男になってしまったのだろう。今や何㎏もある装備を巻きつけて名だたる氷壁を制覇する、頼もしい本物の山男だ。
ただ、マニアック路線を進むところは変わってないらしい。合唱をやるにしても男性合唱、山をやるにしてもクライミング。混声やトレッキングを選ばないところが愛すべきところ。そういえば大学合唱団でも、3年からだったか、一般的なバリトンから、マニアックなベースに移動を希望して移ってきたっけ。
彼とは大学卒業以来会ってないので、是非にと思ったが残念。タイミングが合わず。
7時、朝食。4杯おかわり。夕食より朝食のほうが美味しかった。ちなみにご飯のおかわりはできないが、外来でも併設のミチクサ食堂で同内容の朝食を注文できる。
8時30分、横尾へ出発。徳澤園の玄関にて、穂高連峰をバックに一枚。
8時50分、新村橋にて。
しかし本当に爽やかな空。
徳澤から横尾まで、今は
こんな感じ。
この時期は横尾の手前から河に降りて進む。
10時15分、横尾のテント村が見えてきた。
横尾山荘前のベンチにて軽く食事しながら休憩。
後ろにはドーンと雄大な穂高。
横尾大橋のたもとでは長野県警が待機し、登山客に自制を呼びかけていた。
私達は無理せず、11時40分上高地を目指し出発。
昨日は雪に埋れていた福寿草が、今日の陽射しで顔を出していた。
途中徳澤園でランチ休憩。妻がしょってきた鍋焼きうどんをトランギアで温めて、烏骨鶏卵を乗せて食べた。
ここで私がカメラを落とし、広角レンズの保護レンズを割る失態。ガックリ。。
15時、明神着。いつもピークがかっちょいい明神岳。
仲良し父娘。
16時10分、小梨平着。ここからの奥穂の光景がまた素晴らしい。
沢渡第二行きのバスは空いていた。上高地バスターミナルでお土産を買って、沢渡第二へ。
いつも混んでて入れなかった、梓湖畔の湯に入り、帰路へ。
今回は思いがけず冬の上高地を体験できた。
湖畔の湯のテレビで知ったが、初日に降った雪により、表層雪崩が発生して白馬などで何人かが犠牲になった。また奥穂高でも、滑落により一人が重症を負った。
横尾で注意喚起していた長野県警の方と、登山客の会話が印象的だった。
客「夏にヨーロッパの山を登るから訓練で来たのに、入山規制になっちゃって残念だよ。」
長野県警「だったら尚更こんなときに入山しようと思っちゃだめですよ」
確かに。山には判断力が必要だ。
今回は雪道になってしまったので、夏季に義父を連れていくのにどれ位の時間がかかるのか正確には測れなかったが、やはり通常の2倍は予定しておいたほうが良さそうだ。初日横尾で幕営、二日目6時頃出発し12時頃涸沢着。義父はヒュッテ、私達は幕営。三日目は横尾山荘泊で風呂に入り、四日目に帰る。今から楽しみだ。義父にはそれまで是非健康でいてもらわねば。